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橋本恵史 はしもとけいし

1985年1月2日生まれのテノール歌手、落語家。大阪府寝屋川市出身。医院を営む父のもとに男ばかり四人兄弟の末っ子として生まれる。血液型はB型。

橋本恵史の学生時代

中学生の頃より競馬の騎手を目指す。騎手になる候補者の最終50人にまで残ったものの、最後試験で脱落。当時、体脂肪率は4パーセントをキープしていた。

高校時代はラグビー部に所属し、ラグビーに明け暮れていた。

長兄は内科医、次兄は整形外科医、すぐ上は理学療法士と全員が医療関係に進んだが、恵史だけは進路を定められずにいた。

当時のピアノの先生に相談すると「音大でオペラを学べば、役者をするにも役立つ」と助言され、大阪音楽大学音楽学部声楽学科に進学。

オペラを「太ったおじさん、おばさんが絶叫する仕事」と思い込んでいた橋本恵史は、オペラ科ではなく声楽学科の歌曲専攻に入学した。

卒業後、同大学大学院歌曲研究室に進学。

大学在学中に関西歌劇団、オペラ『道化師』ペッペ役でデビューした。

大学院修了後にドイツ・ハンブルク音楽院(コンセルヴァトーリウム)に自費で留学。同音楽院を最高点で修了。

オペラ歌手、ミュージカル俳優、演出家としての橋本恵史

橋本恵史はオペラ、歌曲、宗教曲、ミュージカルと、分野を問わず国内外で活躍している。

劇団四季の一般オーディションに合格したが、スケジュールの都合で辞退した。

『魔笛』タミーノ役は国内外において30公演以上を数える他、多数のオペラにおいて主役から脇役までを演唱する。

2010年度ハンブルク音楽院マイスターゼンガーコンクール第一位。様々なキャラクターを演じ分け、主役から脇役、更には女役まで歌いこなしてしまう貴重なテノールとして評価が高い。

ドイツ歌曲を専門とし、オリジナルの解釈による自作の音楽劇を上演。過去二度の音楽劇リサイタル 『死に取り憑かれた男』、『薔薇のリボン』は、どちらもセンセーショナルな成功を収めている。

舞台演出の仕事も多く、オペラ・ミュージカル・ダンス作品の演出、新作オペラの台本制作など、その才能は止まる所を知らない。


橋本恵史による音楽と落語の融合

ドイツの高等音楽教育では演奏の専門実技だけでなく、朗読や演技、身体表現など多様な授業を通じて表現者としての総合能力を高めていく。

同時に、橋本恵史は日本語の感覚も維持しようと考える中で桂枝雀の落語と出会い、「こんな面白いものが世の中にあるのか」と仰天した。

その延長線上で、橋本恵史はドイツ歌曲と落語の融合を考えた。「11年に帰国して最初のコンサートの幕あいに、『おんち亭うたい』の名前で落語を披露したら、アンケートの大半が歌にほとんど触れず、落語をほめてくれた」。

さらに落語を極めるため、2017年に落語家六代桂文枝に弟子入り。

外弟子として「歌曲亭文十弁(ぶんとうべん)」の高座名を授かる。自身のコンサートの中でも落語を披露しており、「歌える噺家」を自称している。

今では厳しかったはずの父までが落語を始め、「おうしん亭ちょうしんき」を名乗っている。


橋本恵史とWorld Music Projectの途上国の音楽教育支援

橋本恵史は、ドイツ留学中に「世界の学校に音楽を」をスローガンにWorld Music Project(後にNPO法人化)を立ち上げ、以後、現在も継続してカンボジアを中心とした途上国の音楽教育の普及に尽力している。

2018年5月までに、カンボジアの小学校やプノンペンの音楽教室に800近い数の楽器と、約4000個の鍵盤ハーモニカの歌口を贈った。

ドイツ留学当時、民主党政権下の日本で行われていた「事業仕分け」により、小学校の芸術鑑賞会の予算がカットされるという噂が広がり、橋本恵史も音楽仲間から反対の署名を求められた。このことが、後の発展途上国の音楽教育支援につながる。

橋本恵史は、反対署名の要請に応じなかった。World Music Projectのホームページには、当時の、そして今でも変わらぬ橋本恵史の決意が記されている。

「音楽家は“音楽は子どもの心の育成に必要不可欠だ“と言うが、しかし我々は、普段からどれだけ子どもたちの“心”を考えて音楽活動をしてきただろうか。

それ以前に、音楽家としてしなければならないことがあるんじゃないか。僕たちには何ができるのだろう」。

橋本恵史は同級生のサックス奏者・妹尾寛子と2人であれこれ話していて、「世界には音楽教育のない国がたくさんある」と気付き「世界の学校に音楽を」の大テーマを掲げた。具体的には日本の義務教育で必需品ながら、卒業後は使われず眠っている鍵盤ハーモニカ、リコーダー、ハーモニカなどを集めて途上国に送り、自分たちが指導に訪れる仕組みを整えた。

カンボジアを支援先に選んだのは、アジアの国であたったところきちんと連絡が取れたのがカンボジアのシェリムアップ州にあるワット・ボー小学校だったから。

初めてシェムリアップの街に入った際、音楽の授業のない学校に外国の富豪に寄付された電子ピアノが20台あったが、誰も使わないし使えない状態であった。初動段階で「現場を見ない善意の危険」を思い知り、今では20人の日本人音楽家が入れ代わり立ち代わり、指導に訪れている。

橋本恵史も年2回のペースでカンボジアに通い続けるが、時間の経過とともに2つの問題に直面した。一つは継続性。小学校で音楽を知り中学校に入っても、中学で音楽教育がなければ元のもくあみになってしまう。もう一つは音楽の質の維持。カンボジアはポルポト政権時代の知識階級抹殺で音楽教育も根こそぎにされており、平和で美しく、広く親しまれている歌が他国に比べて少ない。そこにインターネットで子どもたちにとって好ましくない音楽が大量に流れ込んでいるので、早い時点で良しあし聴き分ける耳を育てる必要がある。

橋本恵史はカンボジア当地での音楽教育の充実に向け、World Music Projectで中学校の建設を決意。資金集めのために2011年よりチャリティーコンサート『橋本恵史のお愉しみ会』シリーズを開始した。

『橋本恵史のお愉しみ会』では、ビッグバンド、アコースティック(生音)でのオーケストラ演奏、合唱団を交えての童謡から自作曲歌唱、もちろん落語も披露する。大勢の共演者は橋本恵史が声をかけて集めたメンバーで、手弁当で参加しているという。

橋本恵史、そして志を同じくする音楽家仲間たちの活動が実を結び、2018年11月1日にカンボジア、シェムリアップ州にトロー・オンドーン中学校が竣工。開校式は2019年3月に開校式コンサートとして現地にて行われる。


  • 最終更新:2018-11-14 15:03:37

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